日本赤軍のリーダーとして、数々の事件を起こして逮捕された重信房子の娘である重信メイ。
そんな重信メイは、どんな人生を送ってきて現在は何をしているかなどについて
今回は
- 重信メイの経歴
- 重信メイの現在
- 重信メイの過去の画像
以上の3つについて書いていきます。
重信メイのプロフィール

名前(ふりがな) | 重信 メイ(しげのぶ めい) |
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生年月日 | 1973年3月1日(49歳) |
出生地 | レバノン・ベイルート |
職業 | ジャーナリスト、キャスター、河合塾の講師 |
重信メイのこれまでの経歴
1973年に重信房子と夫であるパレスチナ人の間に授かった重信メイは、レバノンのベイルートで生まれ、幼少期は、難民キャンプなどを転々とする逃亡生活をしていました。
そして、1997年にベイルート・アメリカン大学を卒業し、ベイルート・アメリカン大学国際政治学科大学院に進学しました。
また、レバノン大学にも入学し、ジャーナリズムも学びました。
重信メイは、過去28年間無国籍だったのですが、母親である重信房子が逮捕された後の2001年に日本国籍を取得し、初来日しました。
2011年には同志社大学大学院社会学研究科メディア学、博士課程を修了し、河合塾の講師やAPF通信社の記者・リポーター、中東放送センターの東京特派員として活躍されています。
重信メイは現在何している?

重信メイは、現在、河合塾で英語の講師をしています。
また、それと両立してAPF通信社の記者・リポーターとして在籍、中東放送センターの東京特派員もしています。
プライベートの面に関しては、結婚している情報などはありませんでした。
また、結婚願望がないようなのでもしかしたら恋愛をするつもりはないのかもしれませんね。
重信メイの若い頃のかわいい画像
ここからは、重信メイの若い頃の画像を見ていきましょう。



パレスチナ人との間に生まれたこともあり、日本人とはまた違った美しさがありますね。
重信メイの母親の重信房子も若い頃はかわいい方だったので、娘の重信メイもかわいくなれたのかもしれませんね。
重信メイは河合塾に勤務していた?
重信メイは、2001年に日本国籍を取得し、初来日して、2002年の4月から現在に至るまで河合塾で英語の講師として仕事しています。
河合塾の講師になるには
河合塾は予備校なので、予備校講師になる方法を紹介します。
予備校講師になるには教員免許などの資格は必要ありません。
しかし、4年生の大学を卒業することは必須条件となることが多いようです。
予備校によりますが、講師になるための試験として、履歴書・職務経歴書の書類審査、筆記試験、模擬授業、面接という流れが多いようです。
重信メイは英語の講師なので、これに加え英語の能力が求められると思います。
重信メイは中東放送センターの英語版東京特派員をするほどなので、英語に関しては元々できていたと考えられます。
河合塾の講師は4年生大学を卒業した上で、教えられる知識と指導能力があれば誰でもできる仕事のようです。
河合塾の講師の年収
河合塾の講師の平均年収は約380万円程度らしいです。
しかし、人気講師となれば1000万円を超える講師もいるようです。
重信メイは、人気のある講師かどうかはわかりませんが、一時は河合塾の講師だけで生活もしていたようなので、年収としては、400万円〜500万円程度もらっているように思えます。
まとめ
今回は、重信メイについて書いてきました。
重信メイは、幼少期に逃亡生活をして辛かったと思いますが、幸いにも頭は良かったので大学でしっかりと勉強して現在、河合塾の講師やジャーナリスト、リポーターとして活躍できています。
母親のことなどで、もしかしたら傷つく言葉を言われることがあるかもしれませんが、普通の人とは違う人生を送ってきたことなどを発信するなどして頑張ってほしいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
